海外の出産って?サイパンの出産は?
今回はサイパンで出産をしたカリン側用人さんから
サイパンの出産体験談を提供していただきました。
さて、どんな出産だったのかな?


サイパンの出産事情・1995年6月 by カリン側用人

サイパンで出産可能な施設を持つ病院は、CHC "Commonwealth Health Center" という国営病院のみです。他にクリニックはいくつか在り、検査等はそちらでも可能です。しかし出産時はそのクリニックのドクターを伴ってCHC へ駆け付けなくてはならないので、直ぐに出てきちゃったヒトは間に合わない事もあるとか。

妊娠判定薬等で判明している場合、CHCでの診察は11週頃からになります。なので出向いても当日の診察はなく、予約しか受け付けてくれません。考えてみれば危険な気もしますね。しかし他のクリニックでも同じ対応のようです。

26週の時に日本の病院で1度診察してもらい、母子手帳もその時にもらいました。貧血の為、サイパンでも鉄剤とビタミン剤をもらっていましたが、日本でもらった鉄剤は激しい胃痛を起こすので、CHC のものを飲み続けました。


さて、出産前の予備知識を得る為、予定日の1ヶ月程前にCHC 勤務の友人と産科へ見学に行き、パラオ人助産婦に一通り室内を案内してもらいました。
「呼吸法はその場でも問題ないから、陣痛が5分間隔になったら来てね!」
結構細かく教えてくれたのを記憶しています。
ラマーズ法の教室をCHCでは行っておらず、他所での案内はボードに貼ってありましたが、日本の出産系雑誌を定期購読していたので、行きません。当時は日本人の出産が多かったこともあり、口コミ情報も得ていたので、あまり不安はなかったんですね。
CHCでの検査は、その時々でドクターが替わるものでした。チームを組んでいる上、別のドクターがチェックした方が異常がある場合気付きやすいから、というのが理由だった筈。
私の場合、担当するドクターも2名が交互に、というスタイルだったので、CHC勤務者から云わせるとパーフェクトなドクターたちだったとか。しかしそのパーフェクトなドクターたちは、出産直前に島から居なくなってしまいました。その後は助産婦による診察でした。
時期が悪すぎとしか云えないけれど、当時、政府が賃金問題でフィリピン人ナースを大量に解雇し、それに反発した外国人ドクターたちは次々と帰国してしまったんですね。パーフェクトと呼ばれた産科のドクターは2人ともカナダ人で、そろそろ帰国の日が近いのだと話してくれてました。36 週時、私の子宮底長があまりにも伸び悩んでいたので、最後の診察だし気掛かりだと、ドクターが早急にウルトラサウンドを手配してくれたのが印象的です。しかし中身は2700g は充分に育っていましたが。(内臓にくい込むタイプだとか。ははは)


予定日から遅れる事1週間、何も徴候がなくて、もしかしたら私って象?なんて悩んでいたところ、やっと来た陣痛は夜になると遠のく微弱陣痛。。。。(あ、象の妊娠期間は2年なんですよ。)
結局、陣痛が始まってから3日目に夕食を済ませ、毛布を持参し(とても寒いと聞いていたので)出向いてみると、ストロベリーそっくり(とんねるずタカさんの昔のキャラクタ)のフィジー人助産婦(カーリーのヒゲ付き)に、
「なんでもっと早く来なかった!」
と仁王立ちで怒られました。(えっ、パラオ人は5分間隔って〜)
彼女は水を一杯飲んでベイビーにパワーをあげなきゃいけないと云い、とにかくガバガバ飲まされて、点滴とモニタ用バンドを巻かれベッドに釘付けです。そうそうその前に、受け付けで
"Oh, first customer coming !"
と云われましたね。
しばらく点滴を打った後、そのまま夜中の病院内を2時間歩かされました。この時、既に入院用の服?に着替えさせられていたので、尻丸出し。これじゃ嫌だと云えば、ひとまわり大きいサイズを上に反対向きに着させられました。

それでも陣痛は弱いので、とうとう促進剤投入!当時ドクターの殆ど帰国した直後だったので、どこぞから1名派遣されたドクターもいたけれど、病院にはいない。。。。しかし促進剤を使うにはドクターの承認がいるので、明け方にやっと来てもらえました。途中、シフトの関係から助産婦@ストロベリーは帰宅し、別の助産婦に交代しました。
促進剤のお陰で規則的な陣痛が来てからも、まだまだ出てきそな気配はなく、
「眠りたいなら注射するわよん♪」「おねがい〜」
その注射後、同居人も助産婦たちも皆ランチへ。
が、その薬がきつくて嘔吐。でも誰のヘルプもなし。ぐるぐる巻きのまま自分で処理してると、皆の楽しそうな笑い声が部屋にこだましてくるのでした。
結果、病院に入ってから8時間以上かけて出した訳ですが、何が辛いって子宮口のチェック程辛いものはなかったですね。
「1フィンガーだから、まだ1cmね。」
「お前の指のどこが1cmぢゃいっ!」
と心の中で毒づきながらも言えない自分が悲しい(笑)。


実際、私の出産に立ち会った助産婦は2名でしたが、まぁ訳のわからないドクターよりは頼りになったのかもしれませんね。
日本では陣痛室と分娩室が別だとの事ですが、こちらのベッドはマットレスを順に抜いて変身させていたので、全て同じ部屋です。この部屋には12 才以下の子供は入室禁止なのだとか。上に子供がいるヒトは、出産時には預けてこなければならないそうです。立ち会う人間は普段着のままでokay!

出産後、しばらく休んでからは別室に移動しましたが、あまりにも冷房がきついので毛布を持ち込んで正解でしたよ。どのくらい寝たのかわからないけれど、カリンを連れて来た白人ナース(オーストラリア人らしい)は、
「ハッピーかい?ハッピーでしょ?」
を連発し、初めての授乳で激しい貧血におそわれ朦朧とした私が「う〜ん」と答えにならない声を出したら怒る怒る。


そして、このコは飲み方が悪いと云って、首の後ろを鷲掴みにし、"Come on big mouth !!!!" を連発。カリンはその頃からやる気なし。その後、ベッドの側に置かれた新生児用ケースの中で、カリンが冷えきっているのを見つけた助産婦@ストロベリーが、そのナースをしかりつけて新生児室へ連れて行きました。あのままだったら凍死してたでしょう(苦笑)。

病院は出産後1泊のみで、帝王切開の場合は3泊程度です。退院時に出産証明書を発行してくれますが、その時には名前も書き込まなければならないので、予め決めておく必要があります。

ま、この辺は米国なんかと同じでしょうね。カリンの場合、ガッツな顔に直面した私は、本当にこの名前で良いのか迷いましたが、後から変えることも出来るという事務方の言葉に、そのまま書き込むことにしました。が、どうやらそれは嘘だったかもしれませんね。

新生児はすぐにB型肝炎の予防接種も受けていて、産湯は?どうやらそんなことしてくれないらしいです。自宅に戻ってから沐浴させようと服を逃せれば、体脂だらけで驚きました。これがまた取れない!(男の子の方は簡単そうだと思うのは私だけか?)沐浴の練習も何もしてないので、この体脂は数日残りました。

出産に関する費用は、診察やら検査費用を含めて確か$1,500 でした。3年程前までは、全てで$400 だったとか。母子手帳はなく、日本のもの等を持っている場合、ドクターチェックの前にナースのところで血圧や体重等を計るので、そこで書き込むことになります。

こちらは米国自治領ですから、パスポートオフィスに出生証明書を持参し、手続きを踏めばUSパスポートを取得できます。私たちは日本人なので、領事館にて日本分も申請。その際、22才までに国籍を選ぶようにとのレターを頂きました。


情報提供は「Diver's kids Garden」のカリン側用人さんからです。
この著作権はカリン側用人さんに属します。

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