妊娠8ヶ月。一年間の育児休暇をとり、産休に有休をひっつけて、夫の待つブラジルへ出発。
サンパウロに到着後、夫が上司に紹介してもらった日本人の産婦人科のちづる先生に診察してもらう。お腹の子供にも母胎にもまったく異常なし。
しかし、そこで産むとなると費用が9000ドル(当時1ドル約140円だった)といわれ、泣く泣く断念。そんなに出せるかーってんの!

さて、夫の住むアパートへ。
そこはサンパウロから約150km離れたリメイラという田舎町だった。
が、この町やブラジルのいろんなことを話すのはあとまわしにして・・・!
とにかくブラジル語を勉強してこなかった私は・・・いきなりこまった。
HellowもBye−byeもYesもNoも・・・数さえも通じない!!
こんなんで本当に子供がうめんだろうか!!・・・まぁなんとかなるだろう・・・。
いつの間にか夫の適当な性格がうつってしまったようだ。

ブラジルに着いて2週間目。ようやく産婦人科の先生が見つかった。
リメイラから約80km離れているカンピナス市のジュリア先生にお世話になることに決める。出産費用は約3000ドル。まぁ、妥当かな?
ほんの少しカタコトの日本語が話せる日系2世の方でした。
ほんの少しカタコトのポルトガル語が話せる夫をつれての検診・・・ほんとうに大丈夫なんかい?

医師は自分のオフィスに簡単な診察台を置くのみの診療所をもつのみで、出産や手術のときは病院を借りて(?)行うようなシステムになっている。欧米では一般的なのかな?
診察は問診と内診と血圧を計るくらい。尿検査をしないのに鉄剤の処方箋が出るのはとっても不思議だった。

心音や超音波を見るのは、また別の医師と診療所だった。
その度に受付とへんてこなやりとりをしている夫が・・・うらめしい〜。言葉が通じないということは本当にまどろっこしい!!いらいらするし・・・夫にも・・・自分にも・・・。

2回目の超音波検査を受けたとき・・・
その日は内臓や脳などの細かい部分でのチェックでした。
私たちは妊娠したときからお腹の子供は女の子だと決めていた。
なぜなら・・・そう思いこんでいたからだ。
お腹の子供に毎日のように「ももちゃん」と話しかけていた。(毎日というのはうそだが・・・)男の子か女の子かは出てきてからのお楽しみとしていた私たち。
しかし、今回医師はしつこく「どっちか知りたくないか?本当に知りたくないのか〜?」と聞いてくる。あまりの気迫にまけて、おそるおそる「じゃぁ、教えて!」と言うと・・・・
にっこりほほえんで、超音波の映像のテレビを指さして、大ーくまるを書いてくれた。
はっきりと浮かび上がる、その光かがやくモノ・・・。
ももちゃんはもも太郎と改名するよりしかたなかったのだった。

日本で決めてもらった4月13日の予定日。
まだまだ赤ちゃんはお腹の中でごろんごろんと転がり回っている。
次の日ジュリア先生から突然の呼び出しが。
いきなり「明日病院へいって入院の手続きをしろ」と言われる。
持っていった「たまごクラブ出産編」の雑誌の図や絵でやっと「胎盤が古くなっていて羊水も少なくなってきてるから陣痛促進剤を使って出産させる」ということがわかった。
「陣痛促進剤使うと5〜6時間で出てくるし、無痛分娩(麻酔)だから楽勝だよ〜」と気楽に言う夫の横で「ほんとかなぁ〜」と疑問を持ちながらも「まぁなんとかんるだろう・・・」とおばかな私。
羊水検査もしてないのにどうして羊水が少ないってわかるんかい!?

カンピナス市マテルニダージ病院前

4月15日カンピナス市マテルニダージ病院(産科専門病院って感じ)。
朝からまだ赤ちゃんはごろごろお腹の中で動き回っている。

病室

8時30分、陣痛促進剤を投与し始めるが、結局子宮口も開かない。赤ちゃんもおりてこないってんで、21時には帝王切開に・・・。
陣痛がおこっている間もずっとお腹の中では赤ちゃんは動いていたんだもん、そりゃうまれる気ないよぉ・・・。
何がつらかったって帝王切開に決まって手術室で麻酔をうってもらう間の陣痛!
この無駄な陣痛をはやくとめてーーってかんじだったね。
手術はポルトガル語で(もちろんスタッフはすべてブラジル人)楽しそうなおしゃべりや笑い声とともに軽快に進んでいた。

ついに赤ちゃん誕生。
おさるさん・・・だけど結構かわいいじゃん。
こんな事態の時でもこんな風に思えるって・・・もはや親ばかがはじまっているんだねぇー。

さて、手術も終わり「麻酔が1時間くらいできれたら部屋にもどれる」と言われ、唯一カタコトの日本語が通じるジュリア先生は去っていきました。
ベットごとつれていかれた所は・・・倉庫?それとも霊安室?
電気もついていないコンクリート打ちっ放しのような広ーーい部屋だった。
簡易ベットがずらーと並べられたその部屋には先客がいた。左横にはやはり手術をおえたのだろうと思われる人がいびきをグーグーかいて寝ていた。しばらくするとまた右側にも血塗れの手術服をきた人が運ばれ、その人は静かに寝ていた。
次から次へと出産が終わった人たちが運ばれ、そして去っていく。私はそのまま。
次に隣のベットに来た人はブーブー屁をこいで、ゴーゴーいびきをかいて寝ている。
何故寝られる!?不安と疲れでちっとも眠れない私。
たまに点滴をとりかえたり、何か言葉をかけに看護婦さんがきてくれるが、私がその部屋でわかるものは・・・時計のみだった。
2時間たっても3時間たっても、いっこうに病室にかえしてくれる気配がない。
とりあえず夫を呼んで状況だけでも説明してほしい・・・と思っていても「夫を呼んで」というポルトガル語さえ覚えていなかったおばかな私でした。
3時間ほどたったころ・・・どうやら自力で足をあげることができると部屋にもどれるらしいことに気が付いた。
えいっ私も!!
私の足はなまりのようにベットに横たわったままだった。
ねぇ、ねぇ、そういえば手術中「あなたの身長は?」って聞かれたけど、まさか身長で麻酔の量決めたんとちゃうやろな???
よくわからないが、結局5時間後に、やっと夫と母の待つ病室に戻ることができた。
空もうっすらあけてくる4時すぎであった。
部屋に戻り、ベットに移動してくれたが、私の身長(167cm)のギリギリの長さのベットだった。看護婦さんたちは「でかい!でかい!」と笑っている・・・失礼な!!ぷんぷん。
赤ちゃんがやってくる。初乳を飲ませるそうだ。生まれてすぐなのにおっぱいを吸おうとする姿に生命力を感じた。でもあんたの口にはおっぱいは大きすぎるよ・・・。

このように胴から下をぐるぐる巻きにしてもってきてくれる。抱きやすいようにだとか・・・。

さて、そんなこんなで朝を迎える。
なんだか痛いよ・・・下の方が・・・。
足のつけねから膀胱のあたりがすごく痛いっ!!
痛み止めをもらおうと看護婦を呼ぶと「わかった、ちょっとまって(ポ語)」と言い部屋を出ていった。
薬をもってきてくれるんだろうとワクワクして待っていると・・・
腕に入れていた点滴をはずし、尿のくだをすっぽんとはずし
「シャワーを浴びなさい」
えっえええ〜〜〜っ!!!
その病室はとても清潔で簡素だった。そしてとても広かった。
ざっと20人程の園児が走り回っても平気なくらい・・・。
信じられなかった。しかしNoー!とは言えない状況であることくらいはわかった。
手術10時間後・・・血だらけの手術着をきた私は・・・歩いていた。

夫と看護婦さんに支えられてシャワー室へ向かう。
痛い・・・なんてちんけな言葉なんだ!もっと的確な言葉はないのだろうか。
声にならない痛み・・・あまりの表現力のなさに悲しくなってしまうが、
とりあえずこの世の地獄だった。
シャワー室にプラスチック製の白いイス。
イスに座ると頭の上からシャワーをジャ〜ッ。
「体を洗え」と石鹸を手につかませてくれたが、その石鹸を落とさないようにもっているのがやっとだった。
すると石鹸をもつ私の手をガシッとつかみ、体に石鹸をぬりぬり、ぐりぐり。
・・・どうも。
その次ははぶらしに歯磨き粉をいーーっぱいのせてくれ
「はい、歯を磨いて〜」
息をするのみの私の口の中に歯磨き粉をたっぷりのせ、私の手ごとぐかみゴシゴシカシャカシャ。
シャワーを顔面から気持ちよくかけてくれ、口の中にもつっこんでくれ、すっかりきれいになった(?)のでありました。

とりあえずきれいになった・・・私はこれでベットに戻してもらえると思いこんでいた。
がっ!!ベットとシャワー室を三角形で結んだちょうど頂点のあたりの場所にはイスが待ち受けていた。
「歩いてイスまでいけ」「たのしく、たのしく」
看護婦さんの声が本当にたのしそうに響く。
でも不思議とするどい痛みは少し鈍くなっていた。人間痛すぎるとそれを回避しようとボーっと(麻痺)するのかもしれない。

イスに座ってとにかく息をしている私に持たされたものは・・・
ジュースとクッキーだった。
とにかく親切な(?)看護婦さんは「食べろ食べろ〜」と私の手ごとクッキーを口まで運んでくれ、ジュースまで飲ませてくれた。

「気を失ったら呼んで」と言い残し部屋を出ていきそうになった看護婦を私は最後の気力で呼び止めた。
「もうだめだーーー」
日本語は通じなくとも顔色と表情を見ればわかりあえる!?
そう確信した一瞬だった。

手術後最初の昼食

昼食はゴージャスだった。
日本ではおもゆからって聞いたことがあったが、ここでは肉までついていた。
私はおいしくいただいた。

夕食はさらにすごかった。
ざっと3人前(!?)と思える量に「ほんまにこんなん食うてええんかい?」と思えるようなステーキ。
やっぱりここはブラジルだったのだ。

次の日ジュリア先生がやってきた。
記念写真をとったり和やかなひとときをすごす。
「では、私は来週から学会へ行きます。抜糸は代わりの先生に頼んでいます」
・・・・・・!!
切られたぁーーーーーーー!
学会に負けた私の自然分娩への夢は無惨に幕を閉じたのでありました。

その後・・・
3日後に退院。自宅で乳タンクに徹する日々を過ごす。
しかし、あまりの挫折感と疲労と思うようにならない自分の体の痛みからブルーへ。
(後で知ったが、帝王切開の時足のつけねの筋肉も切ったそう。それで歩くのが痛かったのか・・・)
シャワー室やトイレなど、水の流れるところでは妙に悲しくなり
「自分はなんて不幸な人間なんだ」と思いをはらしてはおろろんと泣く日々が1ヶ月ほど続く。
2ヶ月ほどたったある日。私のストレスは最大となり
「あんたが全部わるいんやー、あんたがブラジルなんかに来るからじゃーっ」と夫に泣きわめき散らし、私のマタニティーブルーは終止符をうつことになった。
おわり

ブラジルの帝王切開とは?
ブラジルではまだ帝王切開は金持ちのステータスとまでいわれるほど、一般的にざくざく行われています。
ブラジル人の友人は「自然分娩は恐いからいや」と言っていました。
最近、日本人助産婦さんたちが力を入れて「自然分娩」と「母乳育児」をブラジルに
伝えていて、少しずつ広がってきていると聞きます。
欧米・ブラジルなどではシャワーを手術後すぐ浴びます。
早く歩行練習をして回復を早めるからだといいますが、手術後の血を洗い流すためもあるのでは?
また、乾燥しているためか、傷口もガーゼなどでふさがず、自然にしておきます。
なので生々しい傷跡を自分の目でしっかりとたしかめることができるのです!?。
もちろん傷は横一直線です。ビキニ命のブラジルですもの♪

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