あおぞらの保育とは

1 保育園の位置
 家庭だけでも保育園だけでも子供は育ちません。人間は歴史的、社会的存在です。人間の子供は、人間の社会の中で育つことで人間になるということはカスバーハウザーや野生児の記録で証明されています。すなわち、子供は家の中だけでは育つことができない、どうしても人間社会の中での生活が必要になってきます。その社会が子どもを消費者として狙い、生きる糧としての食品や遊びまでが商品として追いかけてくるような現在、誰からも管理、支配されない自由な空間と時間を与える解放区としての保育園の意味は大きいのです。管理、支配されない時間と空間が子どもの本来持っている”力”の発達を保証するのです。

2 遊びの保育
 ”遊び”は子供にとって心身を休める休息とは違い、人間になることを学びます。体を思うように動かすこと、ルールがあり我慢したり協力することを知り、管理されない遊びの中で脳を使い、考え、実行する喜びを学びます。一日の時間をこま切れにし、時間内の目的を与えられる保育では上手に目的を達することしか学べませんが、自由な空間では多くの失敗を経て”考える”(脳を十分に使う)ことを学びます。

3 保育者
 子供の行動の基点となるのが、母親を主とする大人の膝の上です。この基点がないと、生活空間を広げていくことができなくなってしまいます。あおぞらではこの大人と子どもの関係をどうとらえるか、ということを大切にしています。保母が第2の母親として子供の生活の基点になることを初めに考え、先生ではなく自分を保護してくれる大人であり、子供の目を通して物を見て、共に生活してくれる友達としてあるのです。子供たちは突然車で連れてこられた場に見守ってくれる大人がいることで生活の場の一部として、保育園を受け入れていきます。子供を預かるということではなく、子供にかかわる大人の一人として、父母と共に子育てを共有する者として接しています。子供たちは大人の生き方そのものを見つめ、大人の見ることのできない未来に向かって生きていきます。子供たちに託せる今を大人が大切に生きることも必要なことです。

4 自然と共に自由に
 人の手を加えた植物は大変美しく愛らしい物ですが、その生命力は弱く、管理する者がなければ枯れてしまいます。自然の中で育つ木々は力強く、過酷な自然の中で雄々しく育っています。人間の子供も同じように大人の管理下にあるときは、思考する力を欠き、試練に向かう力も育ちません。失敗すること、遅れることを恐れず、ゆっくり歩むことに親は不安を覚えるでしょう。しかし子どもは未知の可能性を持って未来に生きるのです。今子供たちに手を加え作り上げてしまうことはその可能性を否定することになります。人間の生きる目的は競争に勝つことではなく勝った者も負けた者も同じ高さに立って生きていけるところにあります。肉体的な差はあっても精神的には同じところで生きています。

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