『日本のロボット研究って変ですね』
    ---- 情報処理学会 インタラクティブ・エッセイへのコメント

                                星野 力 

 

いきなり自分の宣伝で恐縮ですが、最近「ロボットにつけるクスリ-- 誤解だらけのコンピュータサイエンス」という本を、アスキーから出しました。その中で日本の、とくに日本の大学におけるロボット研究に批判的な文章を書いたので、このコメントを依頼されたようです。ロボカップ以外のロボット研究にも(区別が付きにくいので)八つ当たりしています。しかし、私はロボカップとその趣旨にすごく魅力を感じて最初から参加したかった(参加しそびれましたが)、ロボカップの隠れ大ファンであることを告白しておきます。

1.まだ世間(とくに大学)には解析幾何学を使ってひたすら軌道計算し、センサーベースだと自慢しているロボットが生存しています。メカは貧弱、実社会では危なくて使えそうもないので実用指向とはいえないし、人間の知能の解明をしている訳でもなさそうで、不思議な研究です。これらが淘汰されないでいる訳は、世間(マスコミ)がちやほやしているからでしょう。ロボットのおどろおどろしいメカが動いていると、何か知的な生き物を感じてしまう(錯覚してしまう)というチューリングテスト的状況があります。
 知能ロボット研究は一体何を目的にしているのか不思議です。現実には人間そっくりの知的ロボットを苦労して作るより、人間を一人雇うほうが簡単で安上がりです。実用上はあまりニーズのないテーマです。研究者は、実用と科学を都合よく場面々々で使い分けているのじゃないのかな(つまり2足のわらじを履くことで、実用の不充分さを指摘されると、人工知能研究だと言い訳し、またその逆の言い訳もする)。ホンダにはるかにできのよい歩行ロボットを作られてしまったので、バツが悪いことでしょう。  コンピュータも初期は、大学で自作していました。今、ハードでは到底メーカに勝てません。ロボットもやっとこの時点に来ただけともいえます。今までのロボット研究は気楽な機械工作をしていれば受けた。その「良き時代」は終わったのです。ロボカップのロボットも自作にこだわっていると、アマチュアコンテストで終わってしまうでしょう。

2.I.アシモフの「ロボット工学3原則」は、実装しようとしたらただちにフレーム問題に直面して絵に描いた餅となります。「3原則は行動プログラムではなく、埋め込まれた基本原理や設計指針という解釈」だと主張する若手もいます(パネル討論「SFのロボットを科学する」日本ロボット学会誌Vol.12,No.3, 1994)。実現できない設計指針を肯定的に語るのは誇大宣伝といわれても仕方ないでしょう。それとも役人やスポンサーをだます方便として3原則が使われているのでしょうか?
 3原則を「アトムの実現」(あえてワールドカップで優勝とはいわないでおきますが)に置き換えても同じことがいえます。ロボット研究者には、夢と現実を混同して語ることが慣習的に許されているのでしょうか?この気楽なロボット研究へ、他の分野から醒めた視線が向けられるということは十分にあるでしょう。だからこそロボカップという一点でこういう状況を突破したい、という気持ちはよくわかるし、大賛成ですが…。

3.アトムかガンダムか?アトムは日本のロボット研究のシンボルだとか。一方、学生たちにアンケートをとると、「アトム型よりガンダム型の研究がしたい」という切実な声が聞こえきます。アトムよりガンダムやパトレイバーの方が応用的には真っ当で(でも巨大ロボットである必要はない)、とくにパワード・スーツ(R.ハインライのSF『宇宙の戦士』)の人間ロボット間インターフェイスを実現することは、工学的に大変チャレンジングなテーマです。
 アトムのような完全自律ロボットへの強いニーズはそもそもあるのでしょうか?記号着地(接地)を自律ロボットではすべて自前でやらないといけないが、どうやってやるつもりなのでしょうか?サッカーではゴールに特定の色を塗るという記号化を人間がやっていますね。AIBOが追いかけているのはピンク色のボールです。現状では記号化を人間がやるしかない。しかし、遠隔制御型では記号化は人間に任せて、ロボットには人間にできないことをしてもらいたいのです。たとえば災害救助の力仕事、原子力事故の処理など。サッカーでいえば、スーパープレイを体験できる強化スーツなどでしょう。ロボットのサッカーを見ているよりも、自分の能力が強化され、スーパースターになる方がずっとイクサイティングです。これは好みの問題かもしれませんが、チャレンジングなターゲットは、必ずしも「自律型の実現」(アトム・ドグマ)には限らない、ということをいいたいのです。

4.最近のロボカップでの日本の敗因は、日本のロボットが勝つために設計されていなくて、目的が不明確な趣味的な、良くいえば万能型のロボットだからではありませんか?勝つことに特化すれば勝てるのは当たり前だと批判する前に、まず勝てるロボットを作りましょう。そしてそれを汎化すればいい。そのためには汎化しないと勝てないようなルールを提案すればいいと思います。たとえば、ゴールのサイズや重要なパラメータは試合開始直前に乱数で決めるとか。私が主催したことがあるノンゼロサム・ゲームコンテストではそうしました。でないと、固定したパラメータに特化したプログラムがエントリーして優勝をかっさらうという面白くないことが起こります。人工知能とは、ある特定の条件や事例でしか有効でないインスタンスを汎化する努力であったはず。きっとそれは国際的にも理解されるでしょう。

(2000.2.16)

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