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あなたが考える科学とは第4回:スポーツを科学する*1

1. スポーツを科学する

私の専攻は,スポーツ科学なので,スポーツに関係する科学ということをテーマに考えたい.まず「スポーツを科学的にみられるだろうか」という疑問がある.科学として,難しい数学や物理を思いうかべてしまうと,スポーツと科学が結びつきにくいかもしれない.しかし,スポーツの世界のいたるところに,「なぜだろう」という疑問がある.簡単な運動でも,どうやったら出来るだろうという努力をしなければ上手にはなれない.また,うまく出来た時は,大きな喜びがある.できないことを,単純化したり,見方をかえたり,分割して1つ1つ解決していこうとする営みは,まさに科学そのものだろう.そしてスポーツ科学は,そのような疑問と,それを解きあかそうとする知識の集積である.

2. ねこひねりと宇宙旅行

スポーツを科学的にみるといっても,なかなかピンとこないところがある.そこで,1つの運動を取り上げて,それを力学の面から考えてみよう.とりあげる運動は「ねこひねり」である.図-1のようにねこを背中を下にして空中にほうりだすと,上手に足を下にクルッと向きを180°かえて着地することを知っているだろう.これが「ねこひねり」である.

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まずは,予備知識として「角運動量」が必要だ.これは,回転しているものの勢いをあらわす量で,(回転のしにくさ)×(回転のはやさ),である.大事なのは,外部から回転力が加わらない限り,この「角運動量はそのまま保存される」という点だ.例えば,アイススケートでくるくると回転している時,選手が腕を体側につけるとより回転スピードが増すという現象が,まさにそれにあたる.回転中は選手の外からは回転力が加わらないので,角運動量は保存されている.その時,腕を体側につけることで回転のしにくさが小さくなると,保存則 から必然的に回転のはやさが増すという現象なのである.

ところで,「ねこひねり」は,角運動量保存則に従っていないようにみえる.というのは,はじめ背中を下にして回転していない状態なので,角運動量はゼロである.とすると,ぜったい回転速度をゼロ以上にすることができないはずなのに,体は180°向きをかえているからである.

これに対していくつかの理由が科学的に考えられた.おもしろいのは,ねこの回転方向と反対方向にしっぽがまわっているというものだ.しっぽの回転が逆なので,合計としての角運動量がゼロでも体は回転するというのだ.実際,ねこの回転の写真をとるとみごとにしっぽが逆にまわっている.ところが,しっぽのないねこでもねこひねりはできるのである.

実は,しっぽでなくても,どこかに逆にまわる部分があって,合計として角運動量がゼロであればいいので,ねこはそれをうまく利用しているのである.ねこが体をひねるとき,体が上体と下半身でくの字に屈曲していることが観察できる.この時,2つの部分それぞれをみると,図-2の棒の「みそすり」のような運動になっている.そして,みそすり運動では棒が自転のようにまわる方向と,斜めの棒がみそすりのように回る公転の回転方向が逆になっているのである.このため全体としての角運動量はゼロでも回転できるのである.とすると,みそすり運動になるよう上体と下半身をくの字にして行うところがねこひねりの重要なところだということがわかる.

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例えば,体操競技のなかの鉄棒のおり技で,ある方向にひねりながら,途中で逆方向にひねり返す技がある.その時の運動や,トランポリンの運動のなかに,この体をくの字にしたねこひねりを利用した運動をみつけることができる.ところが,スポーツだけでなく,角運動量ゼロの時,体のむきをかえなくてはいけない場面がある.宇宙船のなかである.もし,あなたがふわりと浮かんでいる時,体の方向を後ろ向きにしたいと思った時,角運動量はゼロなので,ねこひねりの方法でないと,うまくひねることができないのだ.ただ残念ながらテレビでみた宇宙飛行士達はまだ,この運動を上手に利用はしていないようではある.

ここでは,「ねこひねり」を調べる時,運動を物体の運動とおなじレベルで単純化して考えた.そこには運動を力学的にみるという科学の視点があり,そうすると,体は力学に従いながら「ねこひねり」という上手な運動をつくり出していることがみえるようになった.そして,それは,ねこの運動だけでなく,人間の運動にもあてはまり,また,宇宙船の中の運動にも応用できるのである.そういう意味で,運動をどうなっているのかという仕組みから考える科学的な見方が重要になる.

3. スポーツ科学の範囲

ねこひねりの例は,力学的に運動を考えるというものであった.しかし,スポーツに対して科学的であるといっても,その方法はおどろくほど広い.どのように問題を考えるかによって,様々なレベルがある.それが,スポーツの社会学,スポーツの哲学,スポーツの力学など,多種多様な科学になるのである.そういう意味でスポーツ科学は幅広い科学である.

そして,また,スポーツ科学は他の分野との交差する分野でもある.例えば,人間がどう歩いて,足にどの位の負荷がかかっているかを知ることは,義足の製作の時の重要な要素である.運動を軸にスポーツ科学はリハビリテーション医学との接点があるわけである.また,ロボットの設計においても運動という面での共通性がある.人間のように効率良く運動を学習していくロボットというのは,これからの21世紀のロボットの課題である.今度は目を転じてアニメの世界をみよう.アニメのキャラクターが自然な感じで運動をしているように描くためには,人間がどう運動をしているかを知らなくてはいけない.そして,どう運動するかを知れば,自動的にキャラクターが運動するアニメーションをつくり出すことさえもできる.このように,動きというものを軸にして,スポーツ科学が関連する分野は広い.また奥が深く,逆に,わかっていないことの方が多いのである.

4. スポーツ科学の問題

人間の運動の科学では,基本的な歩行運動でさえまだわかっていないことの方が多い.ところが,我々はそんな難しいことを考えなくても簡単に歩けてしまう.そこで,「何を難しいことをいっているんだ.そんなこと知らなくたって歩けるぞ」ということになる.これは,他の科学とはちょっと違う視点である.科学でとりあつかう対象が,スポーツのある運動そのものなので,誰にでも非常に身近なものであるということだ.つまりスポーツ科学から得られるものは,対象が身近なだけに誰にでも理解でき納得できるものでなくてはいけないということである.

これは,スポーツ科学の問題点の1つとしてあげられる「現場と科学の乖離の問題」と根はおなじである.どうやったらうまくできるようになるだろうかと悩んでいる選手やコーチの現場にとっては,科学的という衣をきた実感できないような数値やグラフではなく,問題にダイレクトに答えてくれるようなものを望むのである.

5. スポーツ科学のインターフェイス

科学のアプローチは,問題を単純化したり,抽象化して考えることにほかならない.しかし,その結果を統合化しいかに人にわかりやすく伝えるかという問題も,同じく重要である.これは,いいかえれば,人とのインターフェイスの問題である.実感できないような数値ではなく,運動の多様な情報を相手にうまく伝達することができれば,人間はそこから運動の感じをつかみ,実感として理解することができる.そのようなインターフェイスを科学的に検討する必要がある.

例えば,運動の情報としては,時間的な情報の重要性がある.この時間情報があれば,速度の情報,また加速度の情報も伝えられる.加速度がわかれば力の入れ方の情報も伝わる.スキーのウェーデルンの分解写真をみても動きを覚えられないのは,動作の形だけで時間情報がないからである.運動の情報伝達も,口伝や巻き物から,本,写真になり,現代なら動画やアニメーションなど多様なものを利用できる.それらのメディアを利用しながら効果的な運動の情報伝達をする必要がある.

このように,スポーツの科学では,その結果をいかに相手に伝達するか,という情報的なところまで含めて科学的なアプローチが必要なのである.これは,実は,長年コーチが選手にアドバイスする時,いかにそれを伝達するかということに心をくだいていたことに他ならない.

これからは,健康や福祉ということが人間の生活の上の重要な要素としてクローズアップされる.そのなかで,スポーツの果たす役割は大きい.スポーツ科学が他の科学と連携しながら多様な発展をとげることと,そして,それをわかりやすい情報としてだれでもが利用できるようにするインターフェイスの科学の2つがあって,はじめてスポーツ科学が役に立つものになるのではないかと思う.

参考資料

  1. 宮地 力:スポーツを科学する,特集あなたが考える科学とは,第4回,科学,Vol 71, No.8, pp1121-1123, 2001

*1 岩波:科学2001年8月号原稿

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