フランス革命と美食

フランス革命はフランスの食文化に多大な影響を与えた。その背景についてフランス19世紀の文学・歴史の研究者、北山晴一氏の著作に詳しく書かれている。以下はその一部の引用である。

 1789年7月14日、パリ市民、バスチーユを解放。これから1815年のナポレオン1世のセント・ヘレナ追放までの25年間、フランス国民にとっては動乱の時代が続く。
 バスチーユ奪取から三日後、シャンティー城主コンデ公が国外へ逃亡する。美食で知られたコンデ公のもとには、一流の料理人・菓子職人があまた奉公していたが、かくて彼らはすべて浪人の境遇へと転落してしまった。しかしながら、彼らはまさに手に職を持っていた.その年の暮れ、まず厨房長だったロベールが、リシュリュー街104番地にレストランを開店する。やがて彼の店には次代を背負う事になる優秀な新弟子が参集した.これがフランス料理にとっては新時代の幕開けを告げる象徴的な出来事となったのである。
 すでに革命以前、フランスは美食の国として知られていた.周辺諸国の宮廷がフランスから奪い合うようにして啓蒙思想家を招いていたころ、フランス国内の王侯貴族たちは、美食を競い合い、すぐれた料理人を抱えることに熱心だった。
 しかしながら、彼らの饗宴の模様は、幾重もの厚い壁とカーテンとにさえぎられて、市民には想像すべくもなかった.ロベ−ルは、このような時代のパリ市民に、本当の美食の実態を開示してみせたのである。他方、市民の側にも、それをうけいれるだけの準備ができていた.革命の時代が、市民がそれまで抱いていた美食への罪悪感、後ろめたさを一掃してしまっていたのである。
 革命とそれに続くナポレオン叙情詩の時代は、フランス人にとって動乱と陰謀、流血と土煙り、武具と軍馬の喧噪の時代だったが、フランス食文化にとってはまた揺籃の時代でもあった。なぜなら、この四半世紀に起こったことは、単に旧制度下の支配階級の「美味」の秘密が公開され、一般化されたということにとどまらないからである.料理の伝統がロベールら技術家集団の手によって継承されたことは確かだが、それと同時に、料理の質において、伝統との決別が行われているからである。この決別は、新フランス料理の発生、という表現を使ってもよいくらい明らかだった.また、フランスにおいて「食べること」が、初めて「文化」の名に値するものにまで成長したのも、この時期なのであった。

北山晴一著『美食の社会史』より