GOUFFE (Jules ) グッフェ(ジュール)
1807〜1877 菓子職人 料理人

グッフェ写真

1823年のある日、アントナン・カレ−ムはパリ、サン・メリー通りのピエール・ルイ・グッフェの店の窓に飾られたパスティヤージュのかごとヌガーの細工を見て驚嘆する。
 「倅のジュールが、まぐれでいい仕事をしてくれましてねえ」 ピエールは少々自慢げに言う。
 カレームはこの賞賛に値する作品の作者を讃えるために店の中に入る。
 ジュ−ル・グッフェ16歳の時である。
 
 2ヶ月後、カレームに呼び寄せられた彼は7年間、カレームのもとで仕事をする。
 その後も自身の料理、菓子の幅を広げるため修行を続けた後(グッフェは中世の職人がしたように、フランスの各地を回って修業をする、ツール・ド・フランスをした)、1840年、フォ−ブル・サントノレに自身の店ア・ラ・パンセ<A la Pansee>を開く。1850年には28人もの職人を抱えるにいたる.しかし、仕事に疲れ、持病のリューマチが悪化した彼は、1855年、営業権を親戚ののトロチエ(Trotier)に譲り渡し、絶頂期に引退する。
 
 引退していた時期、グッフェは料理、菓子関係の仕事は一切していなかった。
 1867年、退屈し切っていた彼の元へ、かねてより付き合いのあったアレクサンドル デュマ(Alexandre Dumas)とブリス男爵が訪れ、ジョッキー・クラブ(Jockey-Club)のシェフに就任することを申し出る.彼らが第二帝政期に作ったレストランである。
 ここで、グッフェはLivre de Cuisine (料理教本)を著して成功する。そして1872年、Livre de Patisserie(製菓教本)、Livre des Conserves (保存食教本)を著す.この3冊の本はすばらしいイラストとカラーの図版入りであった。また、その書き方も従来にはない正確さで、現代的な料理本の最初であったと言っても良い。

 グッフェは、良い料理を作るにはまず、菓子から始めなければならない、と言っている。
 「優れた菓子職人は容易に熟練した料理人になれるが、料理人が偉大な菓子職人になったのは見た事がない。同様に優れた菓子職人はすぐに優れた焼肉師(ロチスールrotisseur)になるだろう.ブリア・サヴァランの有名なアフォリズム、『人は料理人にはなれるが、焼肉師(ロチスール)は生まれつきである』とは逆に。」ロチ(ロースト)の焼き具合を知るのは生まれつきの才能ではなく単に時間の問題であると。
 実際、当時、料理人の修業は菓子職人から始まる事が多かった。グッフェ自身も菓子屋の息子であり、見習い期間を父親の元で過ごしている。カレームもごく若い時期に菓子の修業をしている。
 (私自身、料理の繊細さと、お菓子の繊細さは別のものだと思っている。それぞれに神経を使う場所が違うのだ。そして、お菓子の繊細さを持ちつつ料理に通り組む事はできるが、料理の繊細さだけではお菓子作りは成功しないと感じている)

 グッフェは Livre de patisserie (製菓教本)のなかで、自身に多大なる影響を与え、導いてくれた、ウベール・ルボーHubert Lebeau、アントワーヌ(アントナン)・カレームAntoine Careme、父親のルイ・グッフェLouis Gouffe の3人の違った分野の師に最大限の謝辞を述べている。