Taillevant (Dit Guillame Tirel)
タイユヴァン 通称ギョーム・ティレル
(1310~1395) 料理人
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このビッグネームは、フランスの3つ星レストランの名前として、また、東京恵比寿のガーデンプレイスのフランス料理店、タイユヴァン=ロビュションとしてのほうが有名かも知れない。
この伝説的な料理人は、古代に書かれたアキピウスによる料理書以来初めてといってもいいくらいの料理書、しかもフランス語で書かれたほとんど初めての料理書を書いた人物である。
哲学者で美食家、フランソワ・ルヴェルはタイユヴァンの事を
「ガストロノミーの分野でキリスト教徒としては最初のスターである。理論と実践を結びつけ、同時代の料理に自分の刻印を刻み、半ば伝説的な人物、範とすべき思想家になりえたカレームやゲラールに至る料理人の永い系譜の最初を飾る人物である」
と書いている。
タイユヴァンについて書く前に、彼以前はどうであったかについて少し述べてみたい。
現存する料理書の中で最も古いものは、紀元1〜3世紀に編纂され、実際には4世紀頃書かれたと思われる縮刷版である。この料理書が中世を通じて写本として受け継がれ、はじめて印刷として現れたのは15世紀末のヴェネチアでである。この料理書の原作者とされているのがアキピウス<Acipius>であるが、人物が特定されていない。ローマ時代、食に造詣の深いアピキウスが三人いる。一人目は紀元前95年頃の生まれでスラの治世に生きた人物。二人目はティベリウス帝時代のガヴィウス・アキピウス。三人目がトラヤヌス帝時代の人物である。
一番有名なのは2番目の紀元前25年生まれのガヴィウス・アキピウス<Gavius Acipius>である。タキトゥス、スエトニウス、プリニウス、セネカなどが書いている有名な美食家である。
セネカはアキピウスのことを非難して、「主義で時代を汚染した」といっている。20年前なら哲学や修辞学の学校に通っていた若者が今やアキピウスの厨房に押し寄せていると。彼の厨房ではさぞ珍しいもの新しいものが食され、議論に花が咲いたことであろう。彼のサロンで、古代のガストロノミー文化が開花していたと容易に想像できる。
そのサロンでのメモが基になったかどうかはわからないが、アキピウスはデ・レ・コクイナリア・リブリ・デセム<De re coquinaria libri decem>(十册の料理書という意味)の作者だとされている。しかし、アピキウスとは当時の美食のシンボルであり、単にその名を著者名に冠しただけだという説もある。この本がアキピウスの作であるにしろないにしろ、以後数世紀に渡り料理書の基本となったのである。
アキピウス以後、14世紀に至るまで、それらしい料理書は歴史に現れなかったし、料理法の進歩も遅々たるものであった。古代と中世では相違点より類似点の方がはるか多く、ことにオーブン料理に関しては中世よりも古代の方が優れていた。
アキピウス以後初めて現れた料理書は1306年の「さまざまな地方のさまざまな使い方によるあらゆる食物の調理、調製、調味教本」である。(この時砂糖はまだスパイスとみなされている)
次に、1350年頃作者不明の「あらゆる料理の大料理人」<Le Grand Cuisinier de toute Cuisine>が出され、これは16世紀中盤に料理人ピエール・ピドゥーによって出版され、その後長く読み継がれることになる。
そして、いよいよタイユヴァンの「ル・ヴィアンディエ」<Le Viandier>である。
当時、ヴィアンドという言葉は、現代の肉< viande>を意味する言葉ではなく、食品全体を指していた。だから、ル・ヴィアンディエは「料理書」とでも約すべき表題である。
これと相前後して書かれたらしいの「パリの家政」<Menager de Paris>。これは15歳の妻のために年上の夫が書いた手引書で、上層ブルジョワ階級の男性が家政の運営の仕方、料理などについて書いている。
通称タイユヴァン、本名ギョーム・ティレル。
1310年、生まれ。ギョーム・ティレルの名がはじめて歴史に現れるのは1326年、ジャンヌ・デヴルー<Janne d'Evreux>の戴冠式関連の記述である。その時の彼はあたかも厨房の申し子であるかのようだったという。
1346年に入るとフィリップ・ド・ヴァロワに仕えるようになり、ついで、ドフィヌ公の館に入り1355年には料理長になっている。ドフィヌ公はタイユヴァンにサンジェルマン・アン・レイの家を贈ったという。
1359年から1361年にはノルマンディー公の料理長、1368年から1373年まではシャルル5世に仕えた。
最後にタイユヴァンはシャルル6世に仕え、1392年には主席大膳頭<Maitre des gamisons de cuisine de roi>となり、爵位を授けられている。
ヴィアンディエの手稿は1373年から1380年にかけて書かれたものだといわれ、活字での出版は1490年である。
本来ならここで ル・ヴィアンデイエを頂点とする中世の宮廷料理について簡単にでも述べなければならないところだが、余りにも複雑、また現代から味を想像するには余りにも遠いものであるので、言及しないことにする。興味のある方は中世料理の本がいくつか出版されているのでそれを参照していただきたい。
ただ、一般的な特徴として言えるのは、スパイスの多用、甘味と塩味の混在(現代フランス料理にもあることだが、ローストにフルーツのソースを添えるやり方は中世への回帰だといわれている)、見た目の重視(白鳥や孔雀の料理を、元の生きていた時そっくりに羽で飾りつけをする)などである。
しかし、名高いヴィアンディエはタイユヴァン一人の作品とみなすべきではない。つまり、タイユヴァンのオリジナルレシピ集ではないのである。むしろ、アキピウス後、中世に脈々と受け継がれ流れていた系譜の集大成とでもいうべき性格のものである。タイユヴァンが取り上げているレシピのなかにはそれ以前に書かれたものもあり、タイユヴァン以前のヴィアンディエの版も発見されている。
また「パリの家政」のレシピにも「大料理人」や「ヴィアンディエ」からの明らかな系譜がある。
タイユヴァン以前も以後も良く似たレシピが色々な料理本でくり返しコピーされ、使い廻されている。
しかし料理界に於いてレシピの剽窃は珍しいことではない。いや、才能ある料理人がレシピを公開し、それが広まり、コピーされることによって、伝統は受け継がれ、改良され、また新たなる才能を生み出す土壌となるのである。その剽窃とコピーと伝統の飽和点に出現し、それに倦み疲れて、改革者、革命児となった(ならざるを得なかった)のが、カレームであり、エスコフィエ、ボキューズ、ゲラール、ロビュションなのである。
そしてタイユヴァンの集大成以後、フランスでは1651年、ラ・ヴァレンヌ<La Varenne>による「フランスの料理人」<Cuisinier francois>の出版まで料理専門書は出版されていない。
ヴィアンディエが出版された1490年から数えて約160年、手稿が書かれた1380年から数えて何と270年である。